昔の人は歩くのがあたりまえ
ここでいう昔はずーと時代をさかのぼり、江戸時代まで。
「東海道中膝栗毛」の弥次郎兵衛と喜多八さんも、日本橋を七つ立ちしたのでしょうか?七つは朝の3時から4時くらいですから早くから出かけたようです。
この時代は夜は真っ暗ですから危険なので明るいうちに歩いて、早く宿をさがしていたようです。
このお話は二人が伊勢詣でを思い立ち、数々の失敗や滑稽を繰り返しながら、東海道を江戸から京、大坂旅する様子を、狂言や小咄を交えながら、当時の口語で描き出したものです。
歩くことが一般庶民の交通手段だったわけですから歩くのがあたりまえになるわけですね。(あたりまの話で恐縮です)江戸時代は今と違って、ちょっとした、お出かけも旅になってしまうわけです、江戸から京都までは道中500キロちょっとあったそうですから毎日沢山歩かないといつになっても到着しません、当時は平均で京都まで15日間くらいかかったそうです。一日平均33キロちょっと歩いたようです、なーんだそのくらいか?と思うベテラン・ウォーカーさんもいると思いますが、舗装もしていないデコボコ道、峠を抜ける坂道など歩くのにも大変な旅であったそうです。
毎日歩くのには2000キロカロリーのエネルギーが必要とされたそうですが、この時代は栄養価の高い食事は摂取できませんでしたので尚更、大変だったのではないでしょうか。
参考に江戸時代の飛脚は江戸~大阪間を4日間くらいで走ったそうです、もちろん昼夜交代で走るわけですが、そう考えると箱根駅伝は早いですね・・・。
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●たくさん歩いた江戸版ウォーカー
※伊能忠敬
日本ではじめて実測による日本地図を作った人、「大日本沿海輿地全図」を歩いて作成。この間に忠敬が歩いた距離はざっと3万5千キロ。歩数にして約4千万歩と言われています。こんなこともあり「伊能ウォーク」なんていう大会なども開催されています。
蝦夷地の測量に出かけたのが55歳ということです、その後に東日本(実績を認められ士分に)続いて西日本測量になったようです。
当時55歳はもはや高齢です、現代はまだまだ若い55歳!頑張りましょう!

西日本の測量に出かける前の最晩年の手紙では
「これは天命と存知候」とあり、だいぶお疲れの様子だったとか・・。

他にはいかがでしょうか?松尾芭蕉さんなんて奥の細道で沢山歩いたのではないでしょうか?黄門様は論外ですね・・。
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by 2006plusalpha | 2006-03-26 12:49 | ウォーキングおもしろネタ
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